創始は、およそ350余年。加賀百万石の金沢にあり、慶応三年より今日まで一世紀余りにわたり、古都・金沢の文化を伝える風雅の宿として、また加賀料理の宿として伝統を培ってまいりました。浅田のルーツと歴史をご紹介します。
旅館「浅田」
加賀藩四代藩主前田綱紀公より初代浅田屋伊兵衛、加賀藩から中荷物御用を命ぜられる。
これが浅田屋の江戸三度の創始である。
道中の危険は並大抵ではなく明治維新まで約200年間代々江戸三度を勤続した。
前田治脩公の時代、浅田屋伊兵衛先代から代々、飛脚御用百ヶ年来勤め藩侯の江戸参勤等の節、納戸御荷物直封の品外に道中筋にも重要な用を相勤め、委曲土佐の守に聴き届けられ、藩より江戸詰飛脚棟取として五人扶持を与えられる。以後、棟取として苗字帯刀が許された。
浅田庄平、中荷物御用を返上し、金沢市十間町の現在地に、旅籠「浅田」を開業する。
旅籠を改め、正式に旅館業を創業。
浅田勝次、金沢市下伝馬町で生誕。
浅田次助、旅館「浅田」二代目として経営に当たる。
浅田作次、旅館「浅田」三代目として経営に当たる。
浅田勝次
旅館を「浅田屋」に改称。浅田勝次、旅館の四代目を継承し、経営に当たる。
国鉄推薦旅館連盟(現・日本観光旅館連盟)に加盟。
経営体を株式会社浅田商事に改める。
金沢市尾山町に「富士ホテル」を開業(昭和42年に譲渡)
旅館 加賀乃井
金沢市長町に旅館「加賀乃井」を開業(昭和43年に譲渡)
料亭 石亭
金沢市広坂に料亭「加賀石亭」を開業。
ホワイトハウス
金沢市東山一丁目向山の一角に中華料理を専業とするレストラン「ホワイトハウス」を開業。
浅田松太、生誕。
料亭 赤坂浅田
東京都港区赤坂に、料亭「赤坂浅田」を開業
浅田勝次、永眠。
港区赤坂の料亭「赤坂浅田」を分離独立し、 「浅田屋伊兵衛商店㈱」が別法人となる。以降、金沢市内の店舗は、㈱浅田屋が経営主体となる。
浅田豊久、浅田屋伊兵衛商店㈱の代表取締役に就任。
青山浅田
東京都港区北青山に、加賀料理「青山浅田」を開業。
浅田松太、都市銀行勤務を経て、浅田屋伊兵衛商店㈱に入社。
名古屋浅田
名古屋駅JRセントラルタワーズに、加賀料理「名古屋浅田」を開業。
浅田松太
浅田松太、浅田屋伊兵衛商店(株)の代表取締役に就任。
日本橋浅田
中央区日本橋室町に、加賀料理「日本橋浅田」、バー「松」を開業。
大手町浅田
千代田区大手町に、加賀料理「大手町浅田」を開業。